「論破禁止」議論が苦手な日本人

「論破禁止」明治学院大学・高橋源一郎ゼミの方針は何かと 問われ、作家はこう答えた。「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから」と。対話は、それをつうじて各人が自分を超えることを希ってなされる。相手へのリスペクト (敬意)と。 自己へのサスペクト(疑念)がなければ成り立たない。1月4日のツイッターから。「折々のことば 鷲田清一  2018.2.19 」

議論で勝っていいのは、二度と関係を持たない相手だけです。
組織中で議論に勝ち負けをつけると、負けた方は感情的しこりを持ち続けたり、決まったことにすすんで協力してくれることはない。見えないところで足を引っ張られることもあるでしょう。
お互いの意見を十分主張し、メリットデメリット両方が理解しお互いに譲り合うことです。勝ち負けではなく、お互いが協力し納得解を見つけ出したという結果に持っていくことができれば素晴らしいことです。

こんな、ことも言われていました。

議論をする技術が、「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には必要だ。

https://www.huffingtonpost.jp/shion-amamiya/discussion-japanese_b_17665436.html

協調を重んじる気質や自分の意見を言うのが苦手な日本人は議論が苦手だといわれているが、それだけではなく、「対話」することさえ苦手なのではないかと書かれていました。

よくBlogなどの反論意見をみると「まぁこの人は○○だから」「どうせ××したことないんだろ」と人格のことまでセットになっている。

意見に対する反論なんだけど、それを言っている人を攻撃する。
「ちがう意見=敵」と思ってしまうことが、「日本人は議論ができない」と言われる原因のひとつではないだろうか。反対意見を言うと「和を乱す悪者」になる日本。
日本人はみんなが同じ考えであることに絶対の安心感がるので、徒党を組んで、ちがう意見の者を攻撃する。みんなの意見に反対する「空気が読めない人」は、スルーされる。意見がちがう=和を乱す悪者であり、敵と認定される。
はっきり正解がある問題ならそれもありかもしれないが、今、私たちが直面している多くの問題は、正解が存在しない。なので、議論や対話を通じて、多角的な視点から正解というより「妥当解」を導くことが求められている。

「話し合う明確な目的」、「事実」と「テーマの本質」を共有、「お互いの立場を明らかにし意見の表明」「論破や勝ち負けが目的ではなく意見を通じた対話こそが大事なのだ」という意識を持たないとまとまらない。

そして、議論のプロセスを振り返ることで、話し合いをよりよくしていくことができるでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です